【会話がつらい】内向的、会話がぎこちない著者が身につけて良かった会話術

内向的…脳の覚醒レベルが高く、外の刺激敏感な人。そして、覚醒レベルが高いことから刺激的なもの(対人会話など)を避ける傾向がある人。 

(自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義)

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 知らない人との会話や世間話を盛り上げる3つのコツ

 

 

上記の本の意味合いからすると内向的な性格は会話を避ける傾向がある人の事といえます。

 

もちろん、私も一人でゲームをしたり、本を読んだいする方が好きです

しかし、現代社会コミュニケーションは必須です。

 

 

 そこで、私が実際使っている役に立つ技術3つ紹介します。

今回はメンタリストDaiGoさんのYouTubeと本を参考にさせていただきます

 

 

  1. 傾聴力

  2. 自己開示

  3. ミミッキング 

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六月15日

入門歴史学の課題に取り組んだ。論文を提出するもので、それ自体はそこまで満たされるものではない。しかし、課題とセットになっていた資料はとても面白く、朝取り組んだこともあり、今日一日の気分が最高潮だった。ここで、やはり歴史が好きなんだと実感した。昨日謎に論じた直観について、まだ慣れないが、感覚的になろうと思い、FGOの夏イベントを回ってみた。気が楽になり、肩の荷が下りたような気分になった。ここで思いついたのだが、今までの辛さは自分に求める基準が高いことにあったのではないかと。ゲームという周りからの認知が低いようなことをこなしていていつもならば焦燥感にかられていた。しかし、今日はゲームで頭を使わないそういう時間も習慣いすると決めたことから目的意識となり楽しめたとかんがえる。こうなって気づけたが今までは勉強ができる自分そして、もっと上を目指すという無意識があった。それにより、焦る気持ちが出てきたり、息抜きすることが苦痛に感じていたのだろう。もちろん、成功者はこれをうまく利用しているのだろうが、コロナウイルスということもありわたしはできない。(いいわけ)まあ、学校生活が始まり人と関わりながら意識の高さは調節しようと思う。

最後に今の時期は基準を低くもち、風に吹かれるように過ごそうと思う。反省としては楽になった反面、眠気がひどい、もう少しメリハリをつけて、頭をつかわないことをしようと思う。

六月14日

今日はずいぶんと久しぶりの感覚に襲われた。鬱っぽい感じだ。私の場合人と関わらないと起こるのだが、これは高校一年生以来だ。この感じになると本当に頭が回らないし、何より楽しくない。この感じに気づいたのは朝、大学の課題をしていた時だ。昼間になったら、頭が晴れるかなと思っていたが、結局、曇ったままで一日の終わりを迎えることになる。この鬱っぽい感じ、言って市まえばストレスは脳を委縮させ、記憶や論理的思考力を低下させ、体にも害を及ぼす。二回目ということもあり、前回より冷静だが、つらいし、このまま続けば反芻思考に陥りそうである。なんとか、対策を打たねばならない。

だが、興味が湧くこともあった、のがちゃんのラジオを聞いた時である。インスピレーションという単語である。どこにでもある言葉だが久しく聞いていないこともあり、心に残った。科学でも直観は90パーセント正しいといわれている。ここ数か月、無意識な決断はダメという謎の思い込みのおかげでと人と関わらないことからこれとはほぼ無縁の生活を送ってきた。そして、ここで思ったのだがこのインスピレーション鬱に効かないだろうか。今回のうつは人と関わらないことによって刺激が薄れているちうことである。ここでいつもと違う刺激を脳に与えるとどうだろうか。改善されそうな気がする。わからないが。一応根拠ぽいことを言うと脳は普段感じない刺激を与えられることで活性化される。これは脳の強化書に書かれている。そして、直観力を下げるやるべきことを紙に書きだしインスピレーションの準備をする。(直観力、メンタリストだいご)つまり、インスピレーションを高めこれを起こりやすいようにし、普段直観に頼っていないのでインスピレーションが起こることは脳に刺激を与えるということだ。そして、新しい刺激にのうは喜び鬱はしずまるという理論である。

まあ、なんいせよ明日のやるぶきことがきまった。インスピレーション。

とりあえず、あしたはさっきのことと生活様式をいっしんする。

(さっきの理論のいみ)

 

生き方

最近、遠隔授業でみんなの前で自己紹介をする機会があった。

そしてその授業で

自分はなんかみんなとずれていると感じた。

というのも私自身とても意識を高くして入学したのだが、そのようなひとが他にいてなさそうと感じたからである。もちろん、恥ずかしくて言えないというかんがえもあると思し、私もそう思う。

自己紹介の状況を説明すると4人のグループで五分行い、あらかじめ考えとけと言われていた自己紹介を読むというものである。そして、グループを変えてそれを三、四回行った。しかし、これが結構早く終わり、残りはグループの人と雑談をするという感じになった。

その雑談の時に、グループになった人で大学は遊ぶという考えをしている人や課題を適当にこなしているだけの人、さらには愚痴をこぼしたり、相手の話題を聞かないというものもいた。

もちろんこれは他人の問題であって、私がとやかく言うことではない。

私が嫌なら関わらなければ良いだけである。

しかし、そうも言ってられない。いきなり、撤回するような記述だが、私の人生にかかわるので、少し首を突っ込むことにする。

 

もし、私が自己紹介で当たったような人ばかりがいたら私はおそらく孤立するだろう。だって、価値観が合わない人の割合が多いから。

 

とわいえ、そうなったとしても、一人も気の合う人がいないということはないと思う。もし、自分の生き方や人生観を変えないのであれば、少ない確率だろうが、気の合う人とえぐりあう可能性もあるはずだ。

 

だが、その自己紹介であたったような意識の低い人に合わせるとしたら、どうだろうか。人生観も変えることになるだろうし、それが合うかもわからない。しかも、結構生き方に関しては大切だと感じているので長い間試行錯誤して決めたものだ。ためしてもないのに変えたくはない。だが、友達ができる事も事実だ。

ところで今更だが、わたしの人生観は「良い友人に恵まれ、新しいことに挑戦すること」である。世界には多くの事がある。だから、死ぬまでに少しでも知っておこうという考えと、人間関係が人の幸福に大きく影響を与えていることからこのようになった。

 

話を戻すと、私の人生観と大学の人達の考え方はちがう。意識を高くして過ごすのかそうでないのか、これは生きるといううえでどちらも正しい。少し、私の意識を下げれば、良い友人かどうかわからないが友達はできると考えられる。

だがそれでいいのか?

まあ、遠隔授業のような短時間でなく、長い間話さなければわからないこともある。かなり、不安だが、終わりにしようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

深く考えすぎ 2

前回の話をざっくりまとめると

勉強が習慣になり、以前の趣味が楽しくないというものでした。そして、やることもないので英語をする。というところまで記しました。

 

英語は結構続きました。しかし、あることに気づきます。長い目で見れば将来使うのかという疑問です。高校生のころは大学に進学するうえで必ず必要でしたが、今後、就職するときもいらないだろうし、今後役に立つのかというとそんなに立たない。

 

もちろん、海外に行くとき使えたり、外国人のいるところで働いたりするときは役に立と思います。しかし、私自身それをやりたいのかそして、英語を役立てられるのかと考えました。

 

その結果、やりたいと思わないという結論になりました。

 

そして、あることにも気づきます。それはやりたいことをやればいのということに。

 

しかし、同時にそれがないから苦しんでいるのだろということにも理解が追いつきます。

 

 

ここまで考えて、私は損得で物事を考える癖がついており、それによって、趣味が楽しめなくなったと思考します。なぜなら、勉強はやれば、プラスのことが返ってきますが趣味は返って気ません。(ここでのプラスは気持ち的なことではなく目に見えるもの)

 

 

そして、私は楽しめるものを探そうと思い、コロナの影響で外出することができないので家でできる事を実践しました。

まず、ピアノ。家に大きめのキーボードがあったので、挑戦しましたが、引きたい曲がないということと、そもそも正しい指導がない変な癖がついたりするみたいだし、私自身勉強が得意というわけではないので効率が悪いということから挫折してしまいました。

 

他には読書をしました。気まぐれに読んでいたので、そこそこ楽しめましたが、私小説は肌に合わなかったようで面白みを感じませんでした。

 

 

他にもドラマ、アニメ(もう一度)、ゲームのような王道の趣味を行いましたが、なかなかやりたいと思えることはありませんでした。

 

しかし、運動は、別でした。家の中で、軽いエクササイズやウエイトトレーニングは重い心を軽くしてくれました。それを体験して調べたのですが、運動はストレスを和らげ、脳に成長ホルモンを分泌してくれたり、代謝などの健康状態もよくしてくれるみたいです。

 

 

一応やりたいことかどうかはまだわかりませんし、実際考えてから変わっていないと思います。だけど、自分にとってプラスにはたらくということなので、運動を趣味にして大学生活の一歩を踏み出そうと思います。

 

 

 

 

 

 

深く考えすぎとよく言われる大学生

大学生になったので、はじめてみました。

というと、何人かの方は楽しそうな出来事を書くのだろうと思うかもしれません。もちろん、「○○に行ってきて楽しかったです!」的なことを書くこともあると思いますが、大体は私自身がストレス発散としてブログ使います。

一応、コンセプトとして日々、感じたことや起こった出来事について記そうと考えています。おもに、学校でのできごとや生きていて疑問に思うこと、私自身の悩みが多くなると思います。(多分)

とわいえ、今はコロナで自粛中なんですが・・・

 

ま、このことは考えていても仕方ないので、さっそく最近考えている悩みを書こうと思います。

初めは趣味についてです。

高校生のころ三年生になるまで熱狂的なアニメファンでした。しかし、今の私は、当時のような趣味がないのです。そして、これを読んでしょうもないと感じた方もいると思います。

しかし、結構これがきついのです。

現実が成功していたり、充実すると趣味がなくても問題ないと思いますが、(心が埋まっていると考えるため)そうでない私はかなりきつく、生きずらいです。

 

こうなった原因はおそらく高3の時「受験のために勉強する」という理由でアニメを見なくなり、リアルを生きており、そして、受験が終わることでやることがなくなったからだと考えます。

これは言ってしまえば現実ロスです。(現実でやることがない)

こうなると、「アニメの趣味に戻ればいいやん」と考ええる人もいると思います。私もそう考え戻ってみましたが、

楽しくないのです。ていうか、つらい)

あれだけ、かっこよかった、かわいかったキャラそして、ストーリーが色あせて見えるのです。

 

そこで、「楽しくないことをやっていても仕方ないし、ためしに英語をやるか」という合理的な考えで、やってみたところ、楽しいのです。

(今感考えれば、脳機能のホメオスタシスの影響だったのかもしれません。)

 

そして、少し悲しいですがメンタルが落ち着くなら、と思い一か月くらい英語をおこなったいました。すると・・・

 

といった具合に記していこうと思います。

今回は、長くなったので次回、続きを書こうと思います。